日本酒 利酒師 上仙裕一

日本の伝統と文化をこよなく愛する日本酒の伝道師『利酒師 上仙裕一』のオフィシャルブログ

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被災地、希望の灯火に 宮城・気仙沼の老舗酒蔵が「復興酒」出荷へ


2011.4.14 22:53 (1/2ページ)

大津波が襲った宮城県気仙沼市の老舗酒蔵「角星(かくぼし)」で、からくも被害を免れた熟成タンクの日本酒が完成した。「これからもこの地で生きる人たちの希望の光になりたい」。斎藤嘉一郎社長(53)は、復興に向けた第一歩としてこの酒の出荷を決め、酒に「船尾灯(ともしび)」と名付けた。(八木択真)

斎藤さんが生まれ育った港町は、あの日を境に一変した。押し流された貯蔵タンクから漏れた重油で、気仙沼湾は火に包まれ、今も焼けこげた漁船が波に揺れる。港近くの創業地に建つ築80年の蔵づくりの販売所も流され、かろうじて原形をとどめた2階部分だけが、大量のがれきとともに近くに残されていた。

「『天災だ』とあきらめるしかないのは百も承知ですが…。今でも夢を見てるような気がする」。市内では約700人が遺体で発見され、1400人以上が行方不明のままだ。

港から数百メートル離れた同社の醸造所は、寸前まで津波が迫ったが、仕込みタンクの中にあった熟成中のもろみ6千リットルは、奇跡的に無事だった。ただ、繊細な温度管理に必要な電気が途絶え、廃棄処分も覚悟した。だが街が落ちつきを取り戻すにつれて、取引先から出荷を求める声が上がった。

「やれるだけやってみよう」。斎藤さんは建設現場用の発電機を調達し、地震の被害を免れた従業員とともに温度管理を再開。厳しい冷え込みが逆に幸いし、なんとか品質を保った。予定より10日遅れで絞った酒はやや辛口になったが、予想以上の出来だった。
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斎藤さんは東京で醸造技術を学んだ大学時代を除き、気仙沼を離れたことがない。約100年 前に曽祖父が創業した蔵を継ぎ、恵まれた海の幸に合う酒を、地元住民のために造り続けてきた。街が苦境に立つ今だからこそ、苦労して造ったこの酒への思い は強い。「これからも、ここで蔵を続けていく礎の酒にしたい。下を向いてばかりはいられない」と力を込める。

酒はできたものの、街の主力の水産加工や造船業が壊滅した気仙沼は、先行きが見えない。仕事や住居を求め、街を出ていく被災者も多い。いったいどれだけの人が街にとどまるのか、不安は募るばかりだ。

斎藤さんは今、電気が途絶えたあの日の夜を思い出す。暗闇の中、そこかしこで動く懐中電灯の光。そこに、絶望と恐怖の中で生き抜く人々のかすかな希望を感じた。「船尾灯」の名には、あの日見た希望の光が重ねられている。

斎藤さんは語る。「ここで生きていくことを選んだ人に、飲んで『明日に向かおう』と思ってもらえたら」。再出発の第一歩を刻む酒は、月末の出荷を目指し、近く瓶詰作業が始まる。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110414/dst11041423070067-n1.htmより

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津波乗り越えた気仙沼の地酒発売へ/ルポ


被災した地酒が復興の旗印となる。津波で倒壊した宮城県気仙沼市の酒造会社角星が、津波発生時に仕込まれ奇跡的に難を逃れた約3500本分の新酒 「両国」に、復興を呼び掛けるラベルを貼り、出荷を計画している。生き残った約6000リットルの清酒は高台のタンクで熟成中で、今秋にも同県内を中心に 出荷される。

がれきになった土蔵造りの店舗を背に、たった1本生き残った一升瓶を手にする斎藤嘉一郎社長(53)は言った。「困難は続くと思いますが前へ進ん でいきたい。がんばろう気仙沼のような復興のシンボルになるラベルを作りたいんです」。創業105年目の老舗店舗は倒壊した。だが、酒造工場は寸前で浸水 を免れ、微妙な温度管理が必要とされる「もろみ」段階の酒も無事だった。しかし、発酵が止まると品質が劣化するため、借り受けた大型発電機を使い従業員 10人が不眠不休で管理。ぎりぎりのところで酒かすと清酒を分ける圧搾ろ過に成功した。

清酒「両国」は、昨年の全国新酒鑑評会で金賞を受賞した人気商品だ。斎藤社長は「港町の酒蔵らしく新鮮な魚介本来のうま味を邪魔しない酒造りをみ んなで目指してやってきた。気持ちが落ち着いたときにお酒は必要になる。つらい心を癒やす酒を提供できれば」と話した。【下田雄一】

[2011年3月31日8時19分 紙面から]

http://www.nikkansports.com/general/news/p-gn-tp0-20110331-755018.htmlより
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